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2009年06月27日

劔岳 点の記

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キャンペーンに回ってる木村大作監督のキャラが面白かったので
『劔岳 点の記』観に行ってみました。
おお、これは「ロード・オブ・ザ・リング/旅の仲間」
フロド(浅野忠信)が旅の仲間を集め忠実な相棒サム(香川照之)、若くて向こう見ずなレゴラス(松田龍平)、その他、ギムリ(蛍雪次郎)、ピピン(仁科貴)、メリー(蟹江一平)、ボロミア(モロ師岡)、が、ガンダルフ(夏八木勲)の教えに導かれ、数々の苦難を乗り越え地図を作り上げる話。そう「メイキング・オブ・ザ・マップ/旅の仲間」だわ。
とか思ってたら、最後のエンドクレジットでのキャスト紹介が「仲間たち」になってたので、ちょっとずっこけました。

が、映画は、ひさびさにちゃんとした日本映画をみたぞーーてな感じの映画でしたよん。
ドラマか映画かわからん映画風じゃなくてどっから見ても映画な映画。
山の美しさと怖さはもちろん、地図はこうして作られてきたんだなあという新しいことを知れる感じ、ストーリーは淡々としてて、登場人物たちもそんなにぺらぺらとしゃべることもないけれどしっかりドラマはあるという、大人向き映画っすよ。
この映画の作られる過程と地図の作られる過程がちょっと重なったりなんかしました。
ラストも単純な「わー、よかったよかったー、万歳ー」てな終わり方じゃなくてちょっとまた違った感じの終わり方がよかったです。

監督のこれまでの経歴の所以なのかな?
香川照之、松田龍平、蟹江一平、仁科貴、などなど今回は二世の俳優さんがたくさん出てるなあとしみじみと思いながらみてました。

一個残念なところをあげるとしたら、明治時代の陸軍参謀本部 陸地測量部所属って設定の松田龍平がアップになるたびに耳のピアスホールが二個デカデカと映るとこかな。

2009年06月18日

チェイサー

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『チェイサー』観ました。
韓国のシリアルキラーものなので『殺人の追憶』(←好き)みたいな感じかなーと思いながら劇場に。

デリヘル嬢が客(シリアルキラー)と喧噪の夜の街で待ち合わせをし、そのままデリヘル嬢の車で客の家のある住宅街へ。陽が昇ってもその夜に斜め駐車したままの形で車は停められたまま。積もった枯れ葉と汚れた車体が月日の流れと、デリヘル嬢は殺されたと暗示する冒頭に、おおっ、なにかいい感じ、と期待したんですが。
あまりにもこの映画の中の警察がどんくさすぎて、つうか捜査の手落ちが多すぎて、「こらーもっとしっかりせんかいー!」と、映画の中に入って警察の首根っこつかみたくなることしばしば。
CSIやらデクスターやったら、速効解決しとりますがな。

シリアルキラーはもう自供もしてるし、あとは物的証拠を見つけるだけなんですよ。
で、まあ、いろいろあって予想どおり釈放する羽目に。
彼は自分のアジト(住所不定)は絶対自供しなくて、そこさえ見つければ物的証拠なんてざくざく出てくるだろうっていうのはフツー誰だって思うことじゃないですか。
だったら釈放したあと絶対その家にまっすぐでなくても帰るはずだから、なにをさておいても追跡てなのが捜査の基本だと思うんだけど、まあ、一応ふたりほど尾行はつきましたよ。でもその尾行が下手すぎでねえ・・・。案の定新たな殺人が・・・。
取り調べの間、シリアルキラーの血のついた服を着替えさせることがあったんだからその警察の用意した新しい服のどっか襟とか裾とかに超小型のGPSでも仕込んでれば一発じゃんねー。ってまあ、50歩譲ってGPSなかったとしても、シリアルキラーの呼んだデリヘル嬢の車が見つかってるんだから、その付近の家を聞き込みして情報つかめばいいじゃんねー、聞き込みは捜査の基本じゃないですか。ゴリさんに怒られますで。

てなわけで、アメリカの科学捜査もののドラマを見てなかったらもうちょっと素直に楽しくみられたんじゃないかなーとも思ったりして。

まあ、でも警察がしっかりしてれば、この映画の主人公のデリヘルのオーナーが単独でシリアルキラーを追いかける必要もなくなるので、映画が成り立たなくなるか・・・。

とか言ってはみたけど、やっぱヌルい恋愛もの映画よりはちゃんとした映画だったすよ。
タバコ屋のおばちゃんのシーンがわたし的には最大のクライマックスてか息のみシーンでございました。

2009年06月09日

ミヒャエル

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さて、もうじき『愛を読む人』が公開されるわけですが、これの原作の『朗読者』、わたし発刊当時、帯に寄せられた
「相当な傑作、いや、舌を巻くほどの傑作」
「だれかがこうした作品を書かなければならなかった。私は強くそう思う」
「近年、これほど心動かされた海外文学はない読み終わってしばらく涙が止まらなかった」
などなどの文化人の絶賛コメントに、ほうほう、と興味を惹かれて読みました(遠い目)。

が、しかし、いつ涙が出るのか胸が熱くなるのかと思いながら読んでいたんですが、まったくそんなことはなんもなく、物語終了。
え?、帯に書かれたような感動はいったいどこに?滂沱のように涙が溢れるのはどこ?わたしの買った本は落丁してたのか、いや、ページは抜けるてとこないよなあ、もしかして、わたしの感情のどこか欠落していてこれを理解できないのか、という釈然としない気持ちを残したまましばしの時がたったのでした。

それから、3年後、斉藤美奈子著の『趣味は読書』にそのもやもやの要因を解明してくれる文章が。

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以下ネタバレなので反転します。↓

おわかりでしょうか。『朗読者』ってものすごく「インテリの男に都合がいい話」なのですよ。都合いいでしょう、どう見ても。少年・青年・中年期を通して「ぼく」は終始一貫「いい思い」しかしていない。少年時代には頼みもしないのに、性欲の処理をしてくれて、青年時代にはドラマチックな精神な葛藤を用意してくれて、最後に彼女が死んでやっかい払いができるなら、こんなにありがたい話はない。本の朗読をしてあげた?戦争犯罪について考えた?そんなの「いい思い」のうちですよ。だいたい、この「ぼく」ってやつがスカしたヤな野郎なのだ。自分はいつも安全圏にいて、つべこべ思索しているだけ。で、この小説は、そんな知識階級のダメ男をたかだか「朗読」という行為によって、あっさり免罪するのである。

(中略)
インテリ男性が好むインテリ男に都合のいい小説。なんてわかりやすいんだろう。キモは「文学」への信頼か。いや以外に「敗北感」かもしれない。字を識らないことを隠すために一生戦い続けた彼女。字を識っているだけで一度も戦わなかったぼく。

(抜粋はココマデ)

ああっそうかー、そうだよね。ほんとミヒャエル(←主人公のぼくね)
ネタバレ→なーーんもせんかったなあ。
少年から大人になりええおっさんになり法律家になり法史学者になっても、やっぱしすることは「本を読む」ってことだったよ。確かに。うんうん。

ハイジみたいな小さい子すらペーターのおばあさんに本を読んであげるだけでなく、ロッテンマイヤーさんに怒られながらもふかふかのパンを届けてあげようとしたり、暖かいひざ掛けをプレゼントしてあげたというのに。

ていうか、読みながらずっとミヒャエルの字が読めないってことに向ける憐憫とそこはかとなく漂う上から目線に、なんだかなあ・・ともやもやした感情が。


てなわけで、映画、楽しみなような怖いような。

2009年06月03日

グラン・トリノ

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『グラン・トリノ』観ました。

くぅー。憎いぜ(誉めてるほうね)
ウォルト・コワルスキー、
クリント・イーストウッド

くぅー。痺れるぜ
ウォルト・コワルスキー
クリント・イーストウッド。

完璧っしょ。
なんかこう久々に痺れる映画を観ましたわ。

教会の懺悔部屋の金網越しではしょーーもない告白をして、地下室の金網越しでは本当の告白をするところ、
ウォルトの計画、
ずっとウォルトの家のガレージでぴかぴかだけど一度も動くところは見せなかったグラントリノが最後に爽快に走り去って行くところ、
その他、もうネタバレになるから書けませんが、ブラボーといいたいシーンの連続で
もうおばちゃん痺れっぱなし。
そして最後の映画の終わったあとのあの余韻、なんですか。
やっぱり、イーストウッド神でしょう。

劇場まで観にいって本当によかった。

ところで。ウォルトの息子嫁、登場した、瞬間、「誰?え?エミリー・ワトソン?いや違う誰?」と、「ロッキー・ザ・ファイナル」(ロッキーがやたら肩入れする女手ひとつで息子育ててる母親役の人ね)のこの人見たときと全く同じことを、また思ったりなんかして。
なんかずっと名前覚えられそうにない気がするよ。ジェラルディン・ヒューズ。

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