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わたしの住んでるところにもやっとこさ『レスラー』が来たので観に行きました。
最初はちょっとプロレスの試合の仕組みやプロレスラーのあの肉体を維持するための日常がドキュメント風に描かれて(日焼けサロンに行ったり髪染めたりそういう細かいとこも描かれてて面白い)「へえー」と思いながら割と淡々と観てます。
で、やっぱこの前半がプロレスって肉体勝負の仕事を見せてるから、痛そうなシーンが満載。体にホッチキス連打されて試合後それを一本一本ミシミシ抜くシーンとか流血するために額をカッターで切るシーンとかもうほんとにもう見てるこっちの体までがイタタタタとなりそうなんだけど、これが徐々に中盤から後半に行くにつれ、マリサ・トメイとエヴァン・レイチェルウッドが登場し始めてからもう体じゃなく心のほうが痛いのに代わって行くんですよ。
登場人物が自分のことをペラペラしゃべってるわけでもないのに、これまでのこの人たちの人生が見えるのがすごいなあ、と。で、どの登場人物の心境にも共感できるんですわ。これもすごいっすね。
もう一線に立つことの出来ない、でもその場所でしか生きていけない、ミッキー・ロークの気持ちもよーーくわかるし、そんな父親を持ってしまったエヴァン・レイチェルウッドの気持ちもよーーーくわかるし、かつ、マリサ・トメイの気持ちもおばちゃんよくわかるしでもう胸とか心がが痛くて痛くてまだ前半の肉体的痛みのほうがマシに感じるくらい。
だからミッキー・ロークもああいう結論を出したのかなあと思ったりしました。
でもこんな感じでどこか特殊な場所でしか生きられない人っていると思うしこういう人が映画に登場するたびにイーサン・ケイニンの『宮殿泥棒』(ケヴィン・クラインの『卒業の朝』の原作)の「性格は宿命だ」という言葉ってほんと真理だよなあとしみじみ思うのでした。
で、全然話は変わりまして。上の画像のミッキー・ロークとエヴァン・レイチェルウッドが二人で出掛ける古いダンスホールのある海辺の公園。おお、これはニュージャージーのAsbury Parkではありませんか。
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この板張りの床が特徴的。
ここってけっこういろんなドラマ、映画に登場してるのであります。
『ソプラノズ』↓でトニーがポーリーとここで待ち合わせをしてプッシーとの思い出にひたったり。
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『容疑者』↓でデ・ニーロのヤク中の息子ジェームス・フランコが古い朽ちた元カジノで薬に浸っていたり。
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あとニュージャージーといえばケヴィン・スミス。
『チェイシング・エイミー』『ドグマ』にもこの公園は登場するのであります。
(で、画像キャプしようと思ってビデオ屋に行ったらこの二本全然置いてなくて、店の人に聞いたらビデオの時は置いてたんだけどDVDに切り替えになってからは置いてないんですよー、だって。なんでやー)
たしか『ドグマ』では冒頭のバッド・コート(@ハロルドとモード)が襲われるシーンがここだったと思う。
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これは↑『容疑者』のジェームス・フランコだけど、バッド・コートがこういう手すりんとこにいて襲われたあそこだと思うんだけどちごうてたらすんません。