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平 安寿子

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平 安寿子『さよならの扉』ちょと前に読みました。
夫を癌で突然亡くした48歳のなんもできない専業主婦(仁恵)が夫の死後愛人の存在に気づいて、その愛人のずっと一人で生きてきたOL45歳(志生子)になんでか、あれやこれやしつこくかかわろうとする話なんだけど、なんだか泣けた。

いや全然、泣かせる作りにはしてないんすよ。
とにかくこの専業主婦の仁恵がウザい。実際こんな人にかかわられたらうんざりだろうなーと思える世話焼きたがりの、でもピントハズレのぶりっこおばちゃん。愛人志生子のウザーなにこの人?って気持ちがよくわかる。志生子も本当は突き放したいんだけど、愛人だったという負い目があって強くは出られない。それに仁恵は愛人を責めるんじゃなくて仲良くしてね(でも本妻が優位ってことはそこはかとなく利用してる)、ってスタンスだし余計に。

でもなんだか心がすごく揺さぶれられてしまった。
最後の最後のこの文章に泣けた。

さようならの扉に、鍵はない。どうしようもなく絡みあった人生は死をもっても切り離せず、扉を開けて何度でも出入りを繰り返す。死が二人を別つまでなんてキリスト教のケチくさいこと。

これって仁恵と志生子の話でもあるけど、二人の男が死んでいく話でもあるんですよね。


仁恵がどれだけ夫に愛されていたかということを、志生子はなにげない仁恵の夫との思い出話の中で気づいて小さな嫉妬をするとこがとてもイイです。でも仁恵は夫の自分に対する気持ちには全く気付いていない。夫が自分のことをどれだけ愛していたか気付かないどんくさい奥さん、ってアン・タイラーにやっぱあったなあ。「歳月の梯子」だったか。


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この本と同時期に「おじさんとおばさん」「人生の使い方」も読んでてフツーに面白かったけどこの本ほどは心揺さぶられることはなかったから、うーむ、やっぱわたし平安寿子読むにはアン・タイラー要素が不可欠になっとるのか。それともたまたまか。まあ、これからもどんどん読んで考えてみよう。

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